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惜別賦

夜が更けた。みしみしと音を立てながら、宵闇が濃くなっていく。
一つの灯りを共にして、いざ、酌み交わそうではないか。宵越しの酒を。

晩風はからからと乾いた枝を揺らしている。
枝の其処此処に、生命の兆しがふくふくと静かに育っている。

君が旅立つというのなら、私は待っていよう。
歳経た古木のように、この地にしっかりと根を張って。
君が戦うというのなら、私は祈っていよう。
いついかなる時も、君が道迷うことのないようにと。

嗚呼、せめて梅の香が裾野を覆うまで、君と共に在りたかった。
こうなれば、煌煌と上る日が恨めしく、欠けながら沈む月が怨めしい。
雪は解け、今はその流れる音ばかりが耳に残る。

ともに声を張り上げて、歌った日を忘れないでくれ。
木登りを競ったこと、手習いで叱られたこと、互いの頬を殴りあったこと、
書を枕にして眠った夜を。

どうか許してくれ。
万感の思い告げられず、いたずらに杯を重ねるだけの私を。

酔いは進み、今は君の笑声ばかりが耳に残る。
君の笑声と、奥底の歔欷の声が、私を慰める。

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輪回

そして、その瞬間ぷつりと
それは、生命となった。

老木のひんやりとしたひびに入り込み
苔の匂いを嗅ぎ、甘い汁を吸い

美しく快活な日光は、高木の葉に遮られ
やわく降り注ぎ
それを熱心に浴び、
全身に浴び、
もっともっとと首を伸ばし、

その瞬間ぷつりと、
それは生命を結んだ

そうしてやがてふりまいた
思うがままにふりまいた
かさを震わせふりまいた

新たな胞子は、痛みをこらえ、
甘い汁をすすりはじめた

過ぎ去りし日

秋は一等寒い季節なのだと君は言う。
なぜだね、と私が問えば、
それでは今から散歩に行くかね、と彼は、テーブルの隅にはじきとんだビスケットの欠片を指で押し潰し、押し潰し、言った。
言ってから、ゆっくりと茶をすする。

最前から強い風がガタピシャとガラス窓を揺らしており、私は首を横に振る。

――なぜだね、

彼は含み笑う。

 寒いからだろう。 
       そうだよ。

人をやり込めたがる悪童に、私は投げやりに応え、うつむいた。

コートもマフラーもない。
家には火の温かさもない。

ぶつぶつと呟く君の声に、
ぼうぼうと口からもれる白い息と、
つんと鼻を刺激する冬の匂いを感じた。

窓の向こうの外気はただ澄んで、
一点のこごりもない。

まだ冬は遠いね、と私が言うと、
彼は長く息を吐いた。私は何となくそれを目で追う。

当然、
何の形も残さずに、消えてしまっていたけれど。

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気づけ、生きているということに


涙はあたたかい
張りつめた皮膚に刃を立てなくても
血の流れを見ずとも
涙は生きている証拠になる

私には学がありません
私の知識で人を救うことはできません

でも憧れているものがひとつだけ、
ひとつだけ

碧い山に霞がかかっています
静謐な、せいひつな山です
あなたはそれを眺めて、ゆったりと長椅子にねそべっています
小さな三毛猫が一匹、
足元でうずくまっています

あなたの手の中には古い書が。
詩か、小説か、それは分かりません
わたしはそれを眺めていたいのです。

あぁ、ただその「あなた」に近づきたくて、
私は、ただ私の浪漫に浸りたくて、知識を求めて、


どうしたらいいのでしょう


一人で長椅子に寝そべりたいわけではないのです
ただ、静かなあなたの横顔が、
そこに在ればいいと

まだ見ぬ私の想い人
いつか静かな安寧が、
手に入るのでしょうか

それとも私は幸せを、
見過ごしているだけなのでしょうか

暴力的感情論


文字に引きずられるようにして、数多の感情が胸裡を抉っていく
それでいいのだ、全ての人間の行動原理は感情にある

倫理も哲学も道徳も悪徳も、その発露は感情だ

勝利には賛辞を、
愛を得た者には羨望と祝福を、
喜びを共に喜び、
怒りは、それを受け入れ共に怒り、
そして、
涙を流す者には限りない抱擁を、私は与えたい

身勝手な感情のままに、私は涙を流すだろう
しかし、私だけはそれを認めたい

私の感情のままの、愛とも言えるこの想いに、欲求に、
私だけは、共に寄り添ってやりたい

仏にはなれない。神にも、天使にも、聖母にも

あぁ、夜になれば私の柔らかな部分が露呈する
外気にさらされ、しくしくと感情を生み落していく


あぁ、たった一度の抱擁でも、貴方の感情を護ってあげられるのなら
私は貴方を抱きしめてあげたい

無題

彼は、いつも和室で高さの合わない古いテーブルを出して、あぐらでよりかかるようにして、紙に向かう。

「懸命に生きている気がするんだ」

誰も彼の世界は理解できない。書いては埋もれていく文字。それでも、その時だけは。
紙に、鉛筆やボールペンや、マジックや気取った万年筆で、何かしら思考の痕を残している時だけは生きていることを実感するのだという。

私は、彼の姿勢や言葉を信じるしかないのだけれど、それが真実だとするならば、

「決して真実を言葉にすることはできないのにね。感覚を完全に表現はできないのに、不思議だ、ね」

私は彼がいてくれてよかったと思う。
くたびれたTシャツで、パジャマか何かと思われる貧相な恰好で、でも懸命に何かを綴る彼がいてくれるだけで、
私は生まれてよかったなぁ、と思う。

決してそれが食い扶持にはならなくても、

「何か」を書くことが、彼の生の実感で、
その姿に私は生を感謝する。

こうして世界は成り立っているのだなぁ、と思う。

彼は今日も何かを書いている。
生きるための仕事の合間に書いている。

書くことが彼の生を支えている。嬉しい。ありがとう。