夕日に焼けたアスファルトに
少女の影が大きく伸びている
少女は不思議に右手をあげて
碗のようにくぼんだ手のひらに
しぼんだ桜の花房がひとつ
鎮座していた
それは果たして戦利品か
親への土産か
はたまた墓でも作ってやる気だったのか
少女はそれに鼻を近づけ
ことりと首を傾げてまた歩きはじめた
産毛の透けて見えそうな柔い肌に
しおれた桜が震えている
ことんことんことん
少女に合せてランドセルが鳴る
首を反らせばまばらな桜花
ふと足元に
立派なつつじが咲いていた
ことんことんことんと
眠そうな音が遠ざかっていく
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くだらねえよな。
くだらない。
雷が去った後、雨の音も途絶えたその瞬間にぽつりともらされた声。
結局。結局死か。
振り向くと彼は畳の上にどうと横たわり、黄色く枯れた畳を爪の先でいじくっていた。
「気に入らなかったかい」
低い机の上に随筆がほったらかされている。
先ほどまで目元を赤くしながらそれを読んでいたのは彼だ。
やっぱり、90年生きようと、100年生きようと、一人の人間が得られるものなんてたいして知れているんだな。
どんな死を前にしても、人の血がたっぷりと流れるのを見ても、人は結局うまいものを食って、
湯に浸かって、人は素晴らしいと言う。
「うん」
人の穏やかな死しか知らなくて、人を殺したこともない私の持っている感情なんて、怒りなんて、人間への称賛なんて、もっと嘘だ。
嘘だ、嘘っぱち。
まがい物だよ。
「うん」
傍に腰を下ろす。顔を覗き込むと意外に彼は泣いていなかった。
私の感情なんて嘘だよ。嘘っぱちだ。
……こう言うのだって、お前に慰めて欲しいからだ。
とうとう彼は顔をくしゃりと歪めて涙をぼろぼろぼろぼろ流し始めた。
「慰めて欲しいかい?」
顔を覗き込んだまま問うと、彼は真っ赤に充血した唇をわずかに開いて、それからゆっくりと首を横に振った。
僕は立ち上がると、障子を開けた。
どこに行くの?
「小便」
あれが出て行った瞬間、ざっと雨の音が戻ってきた。
起き上がってぬるい茶をすする。
結局、狂えもしない。
一人きりの部屋で涙を拭った。
どうか希望をさしあげたい
こんな人生と嘆くのは
ひどく辛いことだろうから
嘆き、思い悩むのは
希望を求める証だと思うから
そう思うのは私が世の汚さを知らないからですか
自己否定の言葉を探すのは簡単で
自己肯定の言葉はいくら検索しても出てこない
自己否定は周りからどくどくと湧いて出るのに
自己肯定は自分の中から生まれないのだとしたら
あぁ、それは
悩みを呟きながら生きてきた私にできることは
一度口をつぐんで
希望を謳うことではないですか
ねえ、掛け値なしの愛はたぶんひとりひとりに眠っていて
きっと私たちの微笑みが誰かを癒すことがありますよ
だから嘆かないで
希望の囁きはうんと小さくても
どうか嘆きを止めて耳を澄まして
それは必ずあなたの中から生まれてきます
不幸をくれないか、と陰気そうに雨神は呟いた。
いや、呟いたのではないだろう。それが彼の話し方なのだ、呟いたのではなく、私に声を掛けたのだ。堂々と。
「無茶を言うなよ」
呆れ含みの声が最後には思わず笑ってしまった。疫病神に不幸を寄越せだなんてと言うと、疫病神、とまた陰気な声が私を呼ぶ。
「じゃあお前の雨をひとしずくくれよ」
「できるわけがない」
憮然とした声。表情は変わらないものの、この消えそうな声は案外と表情豊かだ。
「くるしい……」
ふうん、と私は意地悪い気持ちで雨神を見た。
晴神の肌が焼けてきたと聞いたのはもう少し前だ。外界はそろそろ干ばつだろうか。そうずればまた純粋な不幸は減る。かといってこいつを苦しめて号泣させればまた災害だ。
雨神は片手で顔を覆う。苦しげな息を吐いてはみせても、涙は出ないようだ。
「泣けるときに泣けばいい。別に誰も強制などしていないさ」
もっと苦しめよ。
意地汚い気持ちで雨神の下まぶたの粘膜に親指の腹を押し付け、濡れたそれをこすりつけるように彼の頬をなぞった。
「どうせ人間たちは雨乞いやら何やらでかわいそうな生贄を捧げてくれる。晴神の苦痛には泣けぬのに、生贄に泣くのだからお前は大した性格だよ」
神の庭は不幸に満ちている。
それで更に不幸を求めるなどと、どだい無理な話だ。
呪わしい、と今度こそ呟いた雨神に、疫病神は美しい顔を歪ませて愉しそうに笑った。
あと何度触れるのだろう
あと何度、大切な人の訃報に
貴方の名前を検索すると
その先には嘆きが、たくさんありました
「人生を救ってくれたヒーローだった」と
「先に逝ってしまうだなんて」、と
わたしは「わたしの中の貴方」を形容する言葉を持たず、
常に貴方を追いかけていたわけでもない
それでも、
ショックでした
ぶつりと何かが欠落したような
そんな気持ちになり、
涙がでないのが不思議な、
そんな気持ちに、なったのです
きっと貴方はわたしの理想だった。
貴方の美しさが、
わたしの目指すべき、作り出すべき「美しさ」の
理想の一部になっていたのです
わたしは貴方に一度も触れたいとも
言葉を伝えたいとも思わなかった
でも今は
「わたしは貴方を敬愛していた」と
伝えることができれば、と思っています
わたしはあと何度、
わたしの大切な人がいなくなるのを
見ることになるのでしょうか
途方に暮れながら
今これを書いています
貴方はとても美しい人でした
貴方はわたしの、大切な人でした